恋愛小説『忘れたくない恋をした』8

一つが満たされると、二つ目を求める。
少し幸せになると、もっともっとと欲張りになる。
今を生きていると過去の想いを忘れてしまう。

かつての自分に感謝して、これからを生きていく恋愛小説です。

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恋愛小説『忘れたくない恋をした』8

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「近所のお兄ちゃん」 梨菓の恋、高校2年生 ②

とも兄の部屋に遊びに行っても、私は泣きわめくばかりだった。

それまで、いつも自分が捨てる立場だったから、自分がフラれた立場に立たされたことが、私のプライドをずたずたにした。

私なんか…と繰り返すだけの私に、俺たちは梨菓のことを大事に思ってるよと、とも兄は言い続けた。

よく言うよ、という話なのだが。

私は、途中から怒る意味を失っていたのだけど、今更普通の状態に戻るのもどうしていいか分からず、そのままとも兄の家に足繁く通った。

それから、関係が進むのに時間はかからなかった。

 

しばらくすると、仕事に行くと言って、とも兄はまた週末だけ帰ってくるようになった。

そして、私は、週末を過ごす場所が東京のクラブの彼の家から、とも兄の部屋に変わった。

私たちは、週末だけその部屋で、そのためだけに会った。

それが、隔週になり、月に1回になり、隔月になった。

私は高校3年生になって、東京の大学に進学することが決まった。

会う頻度は少なくなっても、とも兄が帰ってくるときには必ず私のケータイに連絡があった。

 

私が大学進学のために東京に出てからは、会うのは半年に1回になっていた。

それでも、とも兄から連絡があれば、私は地元に帰り、実家には寄らずに、とも兄の家に向かった。

とも兄が、東京の私の部屋に遊びにきたことは一度もなかった。

私がバイトで地元に戻るのに時差があると、とも兄の部屋に先客がいることがあった。

彼女だ、ということもあったし、そうじゃないこともあったけど、私が行けば必ず私が優先された。

 

「梨菓、もう大学何年になったんだっけ?」

「3年だよ」

「あと1年ちょっとで卒業ってこと?」

「そうだよ」

「学校楽しい?」

「普通。でも、こっちにいた頃より、楽しいかな。やってることは、昔と一緒って感じだけど。飲み行って、騒いで」

「そっか」

 

大学では、オールラウンドサークルに入った。

大体みんなノリが良くて、それでいて深すぎない関係で楽だった。

サークル内恋愛も多少はしたけど、基本的に私が付き合うのはいつも外部の人間だった。

それも、昔と変わっていない。

 

とも兄とのベッドの中での会話は、とても淡白だった。

私たちはお互いに、干渉しすぎないように関わり続けてきた。

とも兄は、この期に及んで友達の妹だという意識があったのかもしれない。

私の方は、とも兄に対して、兄の友達という感覚も、自分の友達という感覚も持っていなかったように思う。

じゃあ、どういう感覚だったのかと聞かれると難しい。

 

大好きだった。

でも、その気持ちの的確な別の表現方法が浮かばない。

 

「梨菓、卒業したらどうするの?」

「えー?普通に就職するよ」

「どんな仕事?」

「そんなこと考えてなかったなぁ…就活なんて、4年になる頃に考えればいいかと思ってたし」

「そっか」

私たちの会話は、とも兄の「そっか」で完結することが多かった。

だからこそ、就職先が決まったことを告げたときのとも兄の反応は、今でもよく覚えている。

両親や友達、学校の先生、どの人も差し置いて、誰よりも喜んでくれたのは、とも兄だった。

 

「とも兄。私、就職が決まったの」

ベッドの中で事が済み、いつもならばすぐにうとうとし始めるとも兄が、この日は違った。

「良かったじゃん。おめでとう。何するの?」

「ブライダルだよ。ウェディングプランナーとか、そういうの」

「ウェディング?すごいね、梨菓。俺が結婚するとき、色々手伝ってくれるの?」

「えー?とも兄、よく言うよ。とも兄なんて、一番結婚から遠い男じゃん。万が一、とも兄が結婚することになったって、そのときには私はもうとっくに結婚して、仕事やめちゃってるって」

いくら言い聞かせても、なぜかとも兄の興奮は冷めず、お祝いだといってそのまま深夜のコンビニにケーキまで買いに行ってくれたのだった。

 

「梨菓、約束。俺が、結婚するとき、梨菓がまだお仕事続けてたら、お手伝いしてね。小さい頃に、買ってあげたおやつ代として」

「私がほしいって言ったわけじゃないのに、買い与えてたくせに!うん、でも、まぁ、いいよ。どうせ、とも兄は結婚なんてできないじゃん。それに、私がとも兄の担当するってなると、とも兄は、この土地で結婚式挙げないといけなくなるよ?東京じゃなくていいの?」

「いいよ。そんなのどこだっていいんだし、俺にとっては、ここが生活の中心の地だからね」

 

 

言った当初から、結婚して仕事をやめる自分なんて想像できなかったけど、その予感は的中して、私は自分がかつて思い描いていた花嫁さんの年齢を超えても、ずっと働き続けていた。

この仕事に就くと、自分の結婚が遅れるよと、就職したばかりの頃先輩に言われて笑ったけど、実際に若く結婚した同僚を見ていない。

だから、安心してみんな結婚しないという流れができているのかもしれないが。

そして、更に想像のできなかったとも兄の結婚式にプランナーとして出席している。

参列者は、とも兄のご両親と地元のいつもの仲間たちだけだ。

新婦のほうは、誰も招待していなかった。

 

司会者は、新婦のプロフィールを読み上げている。

もう何度も耳に、目にし、体にしみ込んだ言葉たち。

地元がない、というのはとも兄でなく、この新婦のことを言うのだろう。

施設で育ち、高校を出ると同時に絵の仕事を始めた。

様々な場所をめぐるうちに、とも兄と出会った。

それの、どこまでが本当でどこからが嘘なのか、私には分からない。

とも兄の説明はあいまいで、人が聞いても大丈夫なレベルに原稿を書き換えたのは私だ。

実際のところ、どうやらもっとひどい境遇にあったらしいけど、それをわざわざここで出す必要もないので、高校卒業からの話しか出てこないようにした。

それでも、参列者の中でこの虚偽を知らず、司会者が語っていることが事実の全てだと信じているのは、とも兄のご両親だけだろう。

もっともご両親は、とも兄の相手の素性になど興味はなさそうだったが。

 

新婦に関しては、小さい頃からの思い出を語られる材料が何もない。

結婚式は、新婦が主役なのだから、ここまで話がないのならば、それほどおおきな披露宴は必要ないのでは、と何度も説得にあたった私を振り切ったのは、やっぱりとも兄だった。

「だって、一生に一度しかない出来事だよ」

「だけど、その中でわざわざ内容の薄いものをやる必要があるかな。時間だけ長くとって、中身がないと、逆につらいものが出来上がっちゃわない?」

「もともと中身の薄いものを、少しでもよく見せるようにするのが、梨菓の仕事じゃないの?」

そんな風に言われると、やってやる、としか思えなくて引き受けてしまったのだった。

だけど、どう頑張ったって、言葉での新婦の紹介時間が短すぎる。

そこで、残りの時間は、新婦の描いた絵のスライドショーとなった。

 

スライドショーの作成は、とも兄の友達のパソコンに詳しい人が行った。

私たちのほうでは、時間と流し方の確認しかせず、中身までは見ていなかった。

式は、滞りなく進んでいる。

新婦のプロフィールが読み上げられると、続いて作品をご紹介いたします、とアナウンスが入り、会場の電気が暗くなった。

最初の何枚かは、花の絵だった。

それから、風景画が何枚か続き、やがて人の絵になった。

私の知らない人たちだった。

多分、新婦がめぐった地で出会った人たちの絵なのだろう。

スライドショーと一緒に流れていた曲が終盤に近づくと、人のモデルがとも兄になった。

それが、何枚も、何枚も続いた。

私の見たことのない、とも兄の笑顔。

事実を描いたのか、想像で描いたのか、とも兄が動物や子どもたちと公園で遊んでいる絵がたくさん出てきた。

まるで、将来のとも兄のようだった。

家庭を持った、男の図。

曲が後奏となり、スライドショーがエンディングに近づいた。

私は、司会者の「はい、ありがとうございました」の声を聞きながら、会場を出た。

 

他の従業員に気づかれないように、ダッシュでお手洗いに駆け込んだ。

個室のドアを閉める。

一気に、気持ちがあふれてきた。

お手洗いに誰もいないのを確認した、大丈夫だ。

思い切りよく、ぶちまけた。

「あぁぁぁあああああ。ああああああぁぁぁあ」

私には見つけられなかった、とも兄の将来像が彼女の中にはたくさんあった。

泣きながら、私は自分で涙の意味が分からなかった。

 

時計を確認する。

きっかり、5分。

そろそろ戻って、お色直しの準備に入らなくては。

体がパニックを起こしても、頭はしっかり仕事モードのままでいられるのは、社会人だからだろうか、日本人だからだろうか。

悲しい性だと思う。

あるいは、誇るべき習性だ。

 

「はい、では、このままお色直しに入っていだたきます」

新婦と、とも兄をそれぞれ部屋に通して、予定通り仕事を進めた。

会場の様子を確認しようと、新婦の部屋を出ると、とも兄の担当にあたっていた者に呼び止められた。

「あの、新郎の方がお呼びです」

「私を?」

「はい」

向かうと、お色直しを終えたとも兄に迎えられた。

「梨菓」

「うん。なぁに?」

涙はしっかり拭いたが、化粧は多少崩れているかもしれない。

とも兄の顔を直視したくなかった。

「梨菓、ありがとな」

「なに、それ」

胸が熱くなる。

さっき、押しとどめたばかりの涙が、またぐぐっと上にのぼってきているのが分かる。

「なんで、今言うの?」

「なんで、って。今、思ったから」

「あ、そう」

満足そうなとも兄を見て、私はやっと自分の涙の意味に気がついた。

気がついた、というよりも、ようやく意味を認められただけなのかもしれない。

 

「とも兄、なんであの人と結婚しようと思ったの?」

「うん?」

「なんで、いきなり結婚なの?今まで、そんなんじゃなかったのに」

「あいつに会って、結婚したいなって思っちゃったからなんだよね。これから先、2人でいる未来が、しっかりとほしいなって思ったんだよね。なんでそう思ったか、とかはわかんないけど。理屈じゃないんじゃないのかな。俺にとっては、あいつだったっていうか」

「そっか」

もう、あの頃のとも兄じゃない。

そして、私も、あの頃の私のままではいられない。

とも兄に、「こいつだ」と思われなかったことは悲しいけれど、今更だ。

全部、今更だ。

 

「ごめんな。仕事してたのに」

「ううん、いいよ。お客様に呼ばれて、行くのも私の仕事」

とも兄は、苦笑した。

「俺と話をするのも、仕事って言われちゃうようになったか」

「よく言うよ」

今度は、2人で笑った。

 

「じゃあ、また行ってくる」

週末が終わって、また地方に行くぐらいな口調だった。

「うん、行ってらっしゃい」

私も、あの頃のように返事をした。

でも、もう戻らないことはちゃんと分かっている。

 

とも兄のことは、好きだった。

一緒にいるのが楽しくて、とも兄という帰る場所を用意していたからこそ、特定の男なんて必要ないと甘えていたのかもしれない。

オンナはビタミン剤だと、とも兄は言っていた。

ビタミン剤じゃない、精神安定剤が見つけられたらいいのに、と。

 

結局、大事にはされていたって、私はビタミン剤でしかなかったんだ。

いや、彼氏にフラれて傷心中の私に合鍵を渡して、関係を持ったその事実だけ見れば、大事にされていたとも言えないだろう。

冷静に考えれば分かることが、今ではあふれるくらいたくさんある。

失敗して、後悔して、してもらったことを別の人に返したり、されて嫌だったことを学んだり。

人に過去あり、未来ありだ。

 

そして。

手放したんだ、ようやく、ちゃんと。

 

別のものを、手に入れるために。

今度は、私も、精神安定剤を手に入れよう。

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