恋愛小説『忘れたくない恋をした』7

一つが満たされると、二つ目を求める。
少し幸せになると、もっともっとと欲張りになる。
今を生きていると過去の想いを忘れてしまう。

かつての自分に感謝して、これからを生きていく恋愛小説です。

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恋愛小説『忘れたくない恋をした』7

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「近所のお兄ちゃん」 梨菓の恋、高校2年生 ①

小学校2年生になったばかりの頃、家の近くに6年生の男の子が引っ越してきた。

大橋知哉は、兄と同い年で、すぐに、よくうちに遊びに来る存在になった。

兄と、とも兄と、私。

実の兄には、一緒に遊んでいてもよく意地悪をされたりしていたから、小さい私が「とも兄派」になるには、時間がかからなかった。

 

とも兄の家は、両親で会社経営を行っているらしく、いつも忙しそうだった。

もともとは東京にいたのに、両親の仕事が忙しすぎて子どもに手がまわらないのだと、母親の実家に預けられるために、この街にやってきたのだと、とも兄から聞いていた。

「お父さんとお母さんが社長さんなんて、すごいんだねぇ」

私が言うと、とも兄は言った。

「全然すごくないよ。社長になったからって、お金をいっぱいもらえるってわけじゃないんだから」

そんなものなのかと納得していたが、とも兄の暮らしぶりを見ているうち、実際に家業はうまくいっているのだと後に分かった。

 

やがて、お金持ちの家のとも兄は、隣町に出てはゲームセンターやカラオケで遊ぶような中学生になった。

兄は、野球部に所属して、年がら年中野球しかしないような中学生になった。

すぐに2人の距離は開いていき、私を含めて3人で遊ぶことはなくなった。

お互いに、私に様子を聞きあったりしていたから、仲が悪くなったわけではなかったようだけど、単純に生活が違いすぎたのだろう。

そして私は、小学校の帰りに中学校まで遊びに行き、とも兄やとも兄が仲良くしている何人かについて隣町まで一緒に出かけたりするようになっていた。

でも、学年があがると、そのうち小学生の私は相手にされなくなり、一緒に隣町に行くことはさせてもらえなくなった。

隣町で、とも兄たちが何をやっているのかはわからなかったけど、とも兄の名前を出すと私の親がちょっと心配そうな顔をするのを見て、子どもながらに何かいけないことをやっているんだろうなぁと感じていた。

 

とも兄は、いわゆる「不良」と呼ばれる集団の1人だった。

それでも、一緒に遊んでくれることはしなくなってからも、会えばコンビニでおやつを買ってくれたりした。

その頃の私は、ダイエットに興味が生まれたような年頃で、おやつなんていらなかったのだけど、とも兄はおやつを買ってもらえることこそ子どもの喜びと信じていたので、素直にその親切心に従って受け取り、もらったおやつはいつも帰ってから食べ盛りの兄にあげていた。

とも兄の名前は出さずとも、兄はそのおやつの入手方法を分かっているようだった。

 

とも兄は、地元の商業高校に入学した。

兄は、県内トップ3に入るいわゆる進学校に入学した。

私は、ようやく出会った頃のとも兄と同じ年、6年生になった。

 

関係は、相変わらずだった。

兄ととも兄は、もはや私との会話でも相手を思い出すことはしなくなっていた。

最後に2人が話したのも、中学2年の時にたまたま同じクラスになったのが最後になっていたと思う。

それでも、私ととも兄は、まだ連絡を取り合う仲だった。

 

とも兄は、早々に携帯電話を持っていた。

お小遣いの小銭をいつも少し持ち歩くように言われていた私は、とも兄から携帯番号を教えてもらっていたから、そのお金でよく友達と公衆電話からとも兄に電話した。

何を話すわけではないけれど、公衆電話からとも兄の携帯電話にかけている姿が、当時はなんとなくかっこいい気がして、友達に自慢する気持ちがあった。

とも兄は、大体どの時間でも3コール以内には電話に出た。

 

私は、中学生になった。

入学と同時に、携帯電話を手に入れた。

兄は、高校生になってようやく携帯電話を買ってもらえたから、私はまだ早いと何度も言われ、勉強を頑張るからという約束でやっと買い受けたものだった。

嬉しさで頑張った初回のテストでは、気合いを入れすぎてうっかり学年1位をとって、自分からハードルをあげてしまったものだから、そのあともなるべく5位以内をキープするように、必死の3年間になってしまった。

おかげで、勉強は私の特技の1つになり、それなりな大学にまで進めたのだと思うけど。

 

そうして私は、とも兄と自由に連絡を取り合える道具を手に入れた。

ただ、あの頃は携帯電話の通話料が今と違って驚くほど高かった。

メールだって、今みたいに使い放題プランなんてない。

使用料金が高くなりすぎてしまわぬように気をつけることも、私が携帯電話を持続して使用できるかの重要ポイントだったから、私から連絡するときは、いつも1コール鳴らして切り、とも兄からの折り返しの電話を待つ形にと自然に固まった。

とも兄が、いつも何をしているのかは知らなかったから、とも兄からしても、このやり方は、私に邪魔をされず、うまく連絡を取り合う方法だったのだと思う。

 

とも兄と仲良くすればするほど、同級生の男の子が子どもに見えてきた。

学校では、告白されることもなくはなかったが、誰に対してもぴんとこなかった。

とも兄と比べると、すべての男の子が頼りなく見えてしまったのだ。

とも兄には、俺と比べるのは間違ってるし、俺だって同級生から見たら子どもなんだと思うよ、と何度も諭されたけど、私の気持ちは変えられなかった。

告白されてとりあえず付き合ってみても、その付き合いが3ヶ月を超えたことは1度もなかった。

 

とも兄は、高校を卒業すると長距離トラックの運転手になった。

特定の彼女を作らないとも兄は、学生時代から親のお金で地方にふらふら旅行に行っては、旅の先々でたくさんの女の子と知り合っていて、彼曰く「この職業なら、会いに行けない言い訳にもなるし、日本中に自分の居場所があって良い」のだそうだ。

私も、高校生になった。

とも兄を超える人には出会えなかったけど、年上の男の人に出会うきっかけを覚えた。

中学生のときよりも、遊びの幅は広がった。

高校生になってバイトしたお金で友達と東京に遊びに行ったとき、大学は必ずこっちに進学して、一人暮らしをするんだと決めた。

隣町のレベルじゃない。

東京には、飽きのこない遊び場が数え切れないほどあった。

高校生の私の目標は、勉強を頑張って東京の大学に進学すること、になった。

 

とも兄は、仕事に就いてから、いちいちお休みの日に地元に帰ってこなくなった。

地元と言っても、両親は相変わらず東京にいたし、祖父母がその何年か前に亡くなったことで、母親の実家もなくなっていたから、もうとも兄にとっては、友達しか残されていない場所だったのだけど。

それでも、中学から一緒につるんでいた友達とは、とも兄はずっと仲良しで、私も1度は仲間から外されたものの、高校生になると再び一緒に遊ぶことができるようになった。

その頃のとも兄たちは、週末に東京のクラブに集まるのが主な遊びだった。

とも兄が地方にいる週末は開催されなかったけど、基本的に金曜日の夜にはいつも渋谷で決まったクラブに行った。

あの頃は、どのお店に入るにも年齢確認が緩くて楽だった。

 

まず、深夜にとも兄が私を迎えにきて、私が家をこっそり抜け出すところから始まる。

兄は、私がこっそり外出していることに気がついていたと思うけど、両親には黙っていてくれていた。

この年になると、兄妹ケンカもない。

私がまだ、とも兄たちと関わりがあることを知っていたかは、分からない。

 

とも兄の車で、そのまま仲間を拾って渋谷へ向かう。

そして、盛り上がりを見せるクラブの中へ。

そのあとはみんなバラバラで、一緒に地元まで帰ったことは一度もない。

私は、必ず両親が起き出す時間までに自宅に帰らなきゃいけなかったので、タクシー代を事前にとも兄からもらっていて、いつも1人で帰っていた。

親にバレたら、次はない。

そう思って気を張っていたせいか、お酒で潰れて帰れなくなったことは1度もない。

 

高校時代の私の彼氏は、合コンかクラブで出会った人ばかりだった。

相変わらず、3ヶ月を超えることはなく、音信不通になってフェードアウトな別れ方をした人もたくさんいる。

そんな生活でも、1度だけ、夢中になった恋があった。

 

彼は、東京の大学生だった。

やっぱり、クラブで知り合った人だった。

それまで告白されて付き合って自分からふるという流れに慣れていたから、自分は大事にされるものだと身勝手に思い込んでいたのだと思う。

今となっては、そんな場所で誠実な人に出会える確立なんて、たかがしれていると冷静に判断ができるのに。

 

付き合うと、彼は私にクラブに行くことを禁止した。

そういう風に扱われることで、自分が束縛されるほど彼女として大事にされているのだと、私は、素直にそれを受け入れた。

金曜日の夜に起き出さない代わりに、私は土日をまるまる彼の部屋で過ごした。

彼は、学校の課題が多くて疲れているのだといい、お昼すぎまで寝ていて、起きてきても部屋を出ることはほとんどなかった。

お部屋デートにすることなど限られていて、私たちは1日中ベッドの中で過ごし、ご飯を食べるときだけのそのそと近くのコンビニに足を運ぶような生活をしていた。

 

クラブの彼と付き合いだして、2ヶ月の頃だった。

私は、高校2年の冬を迎えていた。

私がクラブに行かなくなっても、とも兄たちは、変わらず常連のままだった。

 

その日、とも兄の仲間が、いつもどおり目をつけた女の子がいた。

お酒を飲ませ、スキンシップをはかり、次のお酒をと、少しの間はなれて戻ると、その女の子は、別の男につかまっていた。

つい先ほどまで自分がしていたようにその女の子と向かい合う男を見て、彼は激怒した。

だが、とったとられたでもめるような場所ではない。

ただ、なんとなくの悔しさから男の顔を見るくらいしてやろうと思ったらしい。

「あれ?」

どこかで見たことのある顔だった。

「お前…梨菓って知らない?」

名前を聞いたとたん、私の大好きな彼は、笑顔が硬直したそうだ。

変なとこだけ、素直なやつだった。

 

土曜日の朝、大好きな彼の元に向かうため準備をしていると、ケータイが鳴った。

とも兄からだった。

「梨菓、下にいるから降りてきて」

出て行くと、大好きな彼の家にあったはずの私の荷物を両手に抱えたとも兄が立っていた。

 

聞いた話だから、どこまでが本当かは定かではない。

その場で彼はめためたに殴られ、ケータイを折られ、ヴィトンの財布ごと奪われたそうだ。

私に返された荷物の中に、彼の財布があったから、財布の件は本当らしい。

そして、その財布の中からたくさんの女の子と撮ったプリクラが出てきた。

そのいくつかに、○ヶ月記念や○年記念と書かれたものがあって、土日をまるまる私と過ごしていた彼が、一体どの時間にこれだけの女の子との時間を費やしていたのかと、私はある意味で彼をすごいと思った。

 

何人も彼女にする意味って、なんなのだろうか。

とも兄たちに、後に「あのクラブの彼をめためたにする資格って、とも兄たちにないよね」と言うと、「俺たちは、彼女がいっぱいいるわけじゃないからいいんだよ」と言われた。

そう言われてみれば、彼はなぜわざわざすべての女の子と「彼氏・彼女」の関係を築いたのか不思議でたまらなかった。

そして、無駄に、クリスマスや誕生日は一体どうしているのだろうと、くだらないことまで疑問に思えてきた。

 

後でこそ冷静になれたが、事実を突きつけられた当時の私は、号泣した。

そして、お門違いも甚だしく、とも兄たちに激怒した。

それほど大好きな相手だったのだ。

ケータイは壊れていて連絡はつかず、慌てて東京に出て彼の部屋に行っても、彼はいなかった。

いなかったのか、居留守を使ったのかは知らないが。

私は、合鍵を渡されていなかった。

行くのは土日だけで、彼は必ず家にいたから合鍵なんている必要がないと思っていた。

 

それから1ヶ月ほどは、なんとか連絡をとろうと必死だった。

色んな手をつかったが、ついに彼の部屋は連絡もなく空っぽになった。

荒れ果てた私を見て、とも兄は時間をかけて説得にあたった。

仕事をどうしていたのか知らないけど、このとき1ヶ月はずっと地元のアパートにいた。

そして、このときとも兄の合鍵を渡された。

「梨菓、梨菓の気持ちを考えずに行動してごめんな。でも、俺たちはこれが正しかったと思ってる。気が晴れたら、晴れなくてもいいから、これで好きなときに遊びにおいで」

とも兄にしてみたら、私はいつまでも機嫌をとるためにおやつを買い与えるような存在だったんだ。

それが、コンビニのお菓子じゃなくなっただけで。

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