恋愛小説『忘れたくない恋をした』15

★忘れたくない恋をした★15

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「始まりは、失恋」一紀の恋、中学3年生 ①

中学3年、夏。部活を引退して、周りに流されるように地元の有名な塾に通い始めた。特進コースと、普通コース。目指している高校と、その時点での成績とでクラス分けがされ、特進コースは少人数での授業が受けられた。人数が少なければ、自然とクラスの友達とは仲良くなる。

本木、旧姓笹原芽衣は、特進コースのアイドルだった。愛らしい顔立ちに、大人びた体。頭の良さだけでなく、性格の朗らかさも、人を惹きつける力があった。

いま思えば、当時の俺は女子からそれなりに人気があるという自覚があったのだと思う。誰々が吉村くんと仲良くしすぎ、とかもめている集団を見かけたりして、自分のことをそういう感覚で見てくる女の子たちが怖くてたまらなかった。だからこそ、特別俺に興味を示さない笹原芽衣が、逆に気になる存在になってしまったのだった。

きっかけは、もうあんまり思い出せないけど、近くの席同士で答案を丸付けする機会があったときに、笹原が俺の答案に書き込んだ解説があまりにも丁寧だったから、そんなことだったと思う。人の答案用紙に丸付けをするとき、先生の解説を普通、自分のノートか何かにメモしておき、自分の答案が返ってきたらそれを写す。俺も、そうしていた。ただ、笹原はそうしていなかったようで、授業が終わったあとで俺のところにやってきた。

「吉村くん、さっきの答案用紙見せてもらえるかな?自分のに写したくて」

ただ、そういうふうに話したことが最初だった。なんとなくそのときにアドレスを交換する流れになって、メールのやりとりをした。塾でも、休み時間に話をしたり、当時はやっていたマンガやCDの貸し借りなんかをしたと思う。

中学生の俺にとって、それは明らかに初恋であり、その恋はうまくいっているとしか思えなかった。

ちなみに、橋本も同じ特進コースにいた俺に興味を示さない女の1人ではあったのだが、笹原とは決定的に違うことがあった。見た目だ。女は、中身が同じなら、見た目がものをいう。

恋にうきうきし、勉強のために通う塾も、何の苦でもなかった俺は、授業のない日もせっせと塾に向かった。毎日のように、自習室で勉強し、合間を見ては、笹原に話しかけた。笹原も同じように、授業のない日も塾にきていた。俺は、2人の同じ気持ちがそこでの時間だとばかり思っていたけど、それは違った。

笹原は、自習室ではなく、職員室に質問に行っている時間も多いようだった。笹原がいない時間、俺は笹原真面目だなーとかなんとか思いながら勉強し、彼女が帰ってくると、話しかけるタイミングを見計らいながら、テキストと彼女を交互に眺めていた。

塾を先に出るのは、いつも彼女だった。そのことに対して、特に疑問を抱いたこともない。俺は、彼女が帰るとゆっくり片づけをして、彼女を見送るために残っていたのではないと、周りにアピールするようにして帰っていた。

 

その日、いつものように自転車で家に向かっている途中、俺はペンケースを塾に忘れてきたことに気が付いた。次の日は、たまたま塾がお休みになる日だった。2日手元にないのは落ち着かないなぁ、とわざわざ塾まで戻った俺は、笹原を見かけた。彼女は、いつもどおり俺よりも先に塾を出たはずだった。

心臓が高まった。これは、運命のいたずらか。俺のために、神様が用意してくれた機会なのか。一瞬にして、妄想が膨らむ。俺が、声をかける。吉村くん、偶然だね。彼女が言い、笹原、どうしたの?、もう遅いし俺送るよ、とかなんとか言って、笹原のうちまで送っちゃったりなんかして、別れ際に、笹原ー…

と、笹原がぱっと笑顔になった。俺は、妄想のつもりが、実際に自分で声を出してしまったのかと思うほど驚いた。他の誰かが笹原の名前を呼んで、それに彼女が反応したということには気づかなかった。笹原が、誰かを待ってそこに立っていたなんて考えもしなかったから。

笹原のもとに現れたのは、オヤジだった。少しくたびれたスーツに哀愁の漂う後姿。お父さんかな、と思った直後、その後姿が見覚えのあるものだと気が付いた。

本木―…

 

本木は、俺たちが通う塾の講師で、多分年齢は四十過ぎ、独身。趣味もなさそうな、いわゆるちょっと暗い男だった。追うようにして笹原は「けんちゃん」と、声を発した。それが、笹原の本木に対する呼び方だと気づいたとき、俺は足元から髪のてっぺんまでぞわっと鳥肌が立った。その音さえ、聞こえたような気がした。

 

俺は、その日の出来事を誰にも話さなかった。2人のことを思って黙っていてやった、というわけではなく、ただ誰かに話をすることで、あの日に見た光景が事実だと認めたくなかったんだと思う。

俺の中で変わったのは、塾に行く頻度と、勉強に対する熱意と、それから、笹原に対する気持ちだった。勉強に対する熱意が下がる方に変わったのではなかったことだけが救いだろう。なるべく塾に行く時間を減らし、塾で固定の授業が終わると、自習室にこもることはせずに、すぐ家に帰るようになった。笹原と同じ高校を目指していることは考えず、とにかく俺は絶対に受かってやろうという気持ちになっていた。

それでも笹原の方から話しかけられたときは、なるべく普通に、今までどおり接していたつもりだった。それでも、態度が以前と違っていることは相手には明らかなようで、笹原はだんだんと俺に近寄らなくなり、あの日から2週間がたった頃には俺たちは仲がいいとは言える距離感ではなくなっていた。俺のそんな態度のせいで、ミスチルのCDを1枚、返してもらいそびれた。

 

そんな風にして、冬になった。夏までは、メンバーの入れ替えが何度かあった特進コースも、秋以降はそれぞれの成績が落ち着くべきところで安定し、固定されつつあった。そんな時、数学の授業が終わったあとで、講師が言った。

「明日から、特進コースに1人追加で入ります。また、メンバーの入れ替えがないよう、みなさん頑張ってください」

教室がざわついた。1人入るということは、現メンバーから1人脱落者が出るということだ。でも、直近のテストで成績が落ちたメンバーを頭に浮かべることができなかった。それに、正規の入れ替えの時期ではないはずだった。そして次の日、俺たちの教室には新しく女の子が1人入り、笹原の姿が消えていた。同時に、本木も昨日付けで講師をやめていた。

2人の関係が、ばれたらしかった。俺のように2人の逢引を目撃した生徒が、親に話したことで塾側に知れたようだった。本木は講師を首になり、笹原は両親が周りの目を気にして転校させたとのことだった。

それから2週間ほど、休み時間の話題は本木と笹原でもちきりとなり、教室中がふわふわとしていた。俺は、信じたくなかった事実をつきつけられ、多少は辛い時間を過ごしたが、なるべく話題には入らぬようにそれまで以上に勉強に没頭することにした。それでも2週間ほど経った頃には、教室の雰囲気は受験モードにしっかりと戻り、噂話もほとんどされなくなっていた。中学生にとっての話題なんて、一時で飽きられる。もう、笹原も本木も、最初からこの場所に存在などしていなかったかのように思えたほどだった。

 

笹原がいなくなっても、授業が終わるとすぐに帰宅する習慣は変わらず、その日も分からなかったことを講師に質問したあと、自転車置き場に直行した。そして、そこに先にいた人間が振り返った。赤い自転車に手をかけた、橋本だった。

「お疲れさま」
声をかけられたので、無視しようと思っていたけど返事をした。
「お疲れさま」

そのまま鍵を外し帰ろうとすると、その姿を見ていた橋本は更に声をかけてきた。
「ねぇ、吉村くん、知ってたんじゃない?」
「え」
一気に心臓が高まった。いや、まさか、そんな話のはずがない。橋本が、何かを知っているはずがない。そう思いながらも、頭ではきっとその話だろうと、笹原の顔を思い浮かべていた。

大きく息を吐いて、振り向いた。
「何の話?」
「芽衣と、本木のこと」
「なんで?」
知らないよ、と言えなかったことが、橋本が知りたかったことの答えになっていたんだと、今なら分かる。

「やっぱり、知ってたんだね。やっぱり、吉村くんだったんだ」
「やっぱりって、どういう意味?」
橋本は、すぐに俺の質問には答えず、ここだと人が来ちゃうし、とりあえず帰らない?帰る道どっち?と聞いてきた。話が長引くのも嫌でためらっていると、後ろからまた生徒が何人か出てきた。橋本の言うことに従うほかなかった。

同じ教室で半年以上勉強していたにも関わらず、橋本と帰宅時間が重なったのも、帰り道の方向が一緒だと気づいたのも、そのときが最初だった。

関連:恋愛小説『忘れたくない恋をした』16

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