恋愛小説『忘れたくない恋をした』12
一つが満たされると、二つ目を求める。
少し幸せになると、もっともっとと欲張りになる。
今を生きていると過去の想いを忘れてしまう。
かつての自分に感謝して、これからを生きていく恋愛小説です。
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恋愛小説『忘れたくない恋をした』12
「夏海」 祐輔の恋(前編)、 社会人1年目 ③
それから、同期との渋谷ぶらぶらは毎日ではなくなった。
俺の方が仕事の上がりが早いと、俺は同期を待たずに帰るようになった。
渋谷に8時。
一人で帰るときは、いつもその時間の電車になるようにホームに向かった。
ゆっくりと階段を下りながら、ホームにいる人間を無意識に見渡す。
なぜか、原田のことは頭に浮かんでこなかった。
次に夏海と会えたのは、1ヶ月後の木曜日だった。
「あ…」
わざわざ会えそうな時間の電車に合わせていたのは自分だったのに、いざ姿を見つけると、とたんに心臓が速まった。
声をかけるべきか、否か。
悩んでいると、夏海がこっちを向いた。
横顔がうつる。
そこでようやく気がついた。
夏海は、男と一緒に立っていた。
更に心臓が速まる。
男とはいえ、ただの会社仲間かも。
別に、そういう関係のやつだと決まったわけじゃない。
いや、でも。
自分が、これほど優柔不断だとは知らなかった。
こんなところで見つかったら、なんとなく気まずいから早く立ち去ろう、それだけ決めたものの、ぐずぐずと2人の様子を見ていると、電車がきて2人は乗り込んだ。
ドア付近に立った夏海と男の顔が、はっきりと見えた。
北川だった。
動かなきゃ、見つかったらマズイ。
実際は、別にマズイことは何ひとつないのだが。
そして、その想いとは逆に、俺の目は2人に釘付けになった。
夏海が、俺の方に目を向けた。
あ、という気づきの表情が読み取れた。
動き出す電車のドア越しに、夏海の口が「ナカノクン」と動いた気がした。
その動きに合わせて、北川もこっちを向いた。
視界から、2人の乗っている車両がほぼ消えようとしている時だった。
北川の表情までは、読み取れなかった。
あの日、お前はいつもより帰りが早かったんだよな。
俺は、なぜかどうしていいか分からなくて、最寄り駅で電車を降りて、とりあえずいつものコンビニに入った。
好きでもない缶ビールを何本か買って、家に着いたとたん、着替えることもしないで、スーツのままソファでそれを開けた。
そしたら、いつもならまだ仕事真っ最中であろう時間に、お前が帰って来た。
俺の様子を見て、一瞬びっくりした顔をしたけど、何も聞かずに冷蔵庫に向かった。
おんなじように、お前が自分で買いためてた缶ビールを開けて、ソファで並んで座ってた。
覚えてたか?
俺らが、自宅で2人だけで酒やったのは、あの時だけなんだよな。
あれだけ学生時代に一緒にいたのに、北川とは卒業してから連絡をとっていなかった。
特に意味があったわけではないけど、お互い新しい生活に入ったばかりで、昔を懐かしむところまできてなかったんだと思う。
なぜ、北川が夏海と一緒にいたのか、聞くのはメール1通で事足りる。
だけど、それがその時の俺にはできなかった。
北川と夏海は、俺と夏海同様、学生時代にほとんど関わりのない者同士のはずだった。
俺はその2人の後姿から、「たまたま会って、電車を一緒に待っている」だけではない空気を感じ取ったんだ。
真相は、掴めないままだった。
ただ、夏休みを前に周りに異動があったり、少しずつ任される仕事が多くなったりで、自然と日々に集中することができた。
俺は、夏海にも北川にも連絡をとらなかったし、2人から俺に連絡がくることもなかった。
そんな風に毎日が過ぎていく中で、8月のお盆過ぎあたりだったと思う。
クラス会をやろう、というメールがまわってきた。
地方で働く仲間も多くいて、お盆には休みがとれず、東京に帰ってくる機会に、会える人にだけでも会いたいから、というような流れだったと思う。
特に男で東京に残っている者は少なく、幹事から念押しされて、迷いながらも俺は行くことにした。
行かないことで、夏海たちに何か思われるのも嫌だという強がる気持ちもあったと思う。
2人が来るかどうかは、分からない。
とりあえず、学生時代の仲間に会いたい。
何も考えずに、みんなに会えることを楽しみに参加してみよう。
そう決めて、9月の頭、半年ぶりに「あの頃のメンバー」と再会した。
男4人、女8人決して多くはないけれど、元々の人数を考えれば少なくもない人数が、懐かしの駅のロータリーに集まった。
卒業したあとに、わざわざ学生の多い騒がしい場所を選ばなくてもいいのに、学生時代の仲間と会うとなると、なぜだか他の選択肢が浮かばないのが不思議だ。
さすがにまだ半年、ものすごく変わったという印象の奴はいない。
集合時間の5分ほど前に着くと、見覚えのある女子が、何人か集まっているのが分かった。
その中に、夏海の姿もあった。
それは、本当に懐かしい光景だった。
在学中何度も飲み会をして、卒業直前にも散々ここで待ち合わせをしていたはずなのに、いちばんに頭に浮かぶのは、入学式のあとのあの待ち合わせの風景だった。
少し離れた位置からそれを確認すると、考えないようにしていた気持ちがあふれてくるような感覚に陥った。
学生時代にいつも原田と一緒だった夏海、突然俺の名前を呼んだ彼女、北川と並んで電車に乗っていった姿。
どれも俺の知っている夏海で、そしてそれが、俺の知っているすべての夏海だった。
心臓が高まる。
その音を押さえつけるように、目線をとられぬように注意しながら、俺は一番近くにいた幹事の男に声をかけた。
視界の端に、夏海がこちらを確認している様子が映ったが、俺は視線を動かさなかった。
北川は、いなかった。
12人ともなると、なかなか居酒屋ではひとつのテーブルに座りきれない。
なんとなく、夏海と遠い位置にポジションをとった。
隣同士のテーブルとはいえ、全員で会話することは不可能だった。
もうひとつのテーブルから、時々「原田」という単語が聞こえてきたが、内容まで確認しようとはしなかった。
途中参加が2人いたが、ついに北川は顔を見せなかった。