恋愛小説『忘れたくない恋をした』11
一つが満たされると、二つ目を求める。
少し幸せになると、もっともっとと欲張りになる。
今を生きていると過去の想いを忘れてしまう。
かつての自分に感謝して、これからを生きていく恋愛小説です。
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恋愛小説『忘れたくない恋をした』11
「夏海」 祐輔の恋(前編)、 社会人1年目 ②
夏休み明け、俺は最初の授業で提出する宿題をギリギリでやっていた。
「北川、後ろから解いて!俺、前から解くから。いけるとこまでやって、とりあえず出そう。まったくやってないよりはマシだし、抜けてるところが少しなら、わかんなくて解かなかっただけだって思ってくれるかも」
「おい、後ろからって…長文問題、全然意味わかんないんだけど。絶対前からの方が簡単じゃん!せこいぞ、雄輔!」
北川とは、入学式から友達が始まった。
例の飲み会に一緒に行ったやつね。
もう1人はクラスも違ったし、自由選択の授業しか一緒にとれなかったけど、北川とは、なかなか一緒にいる時間が長かった。
忘れていた話題を再び聞いたのは、その時だった。
「ねぇ、みんな聞いた?」
久しぶり!何なに?と盛り上がる女子たち。
集中できない。
やばい、間に合わないと思いつつも耳が女子の会話にひかれていると、「夏海がいない間に話すけど」という言葉で完全に勉強への気持ちはなくなった。
男が、噂話を嫌いなわけではない。
女の子のように、わざわざ友達にもちかけたりすることはしないけど、耳に入ってくる話題を自らシャットダウンするほどではないのだから。
「なんかね、原田くん、夏海だけじゃないっぽい!」
「えー!どういうこと!?」
周りが、更に騒がしくなる。
北川も、ペンの動きが止まっている。
俺たちは、なんとなく気まずくなって目を合わせた。
女子たちは、ひととおりその噂の根拠について語っているようだった。
でも、騒がしすぎて内容まではうまく聞き取れない。
絵理の教室でもこうなってるかな、と思っていると話し声がぴたりとやんだ。
「あ、夏海おはよう」
振り返ると、夏海が教室に入ってくるところだった。
とたんに女子は自然とちらばりだした。
「おはよう!みんな、なに話したの?」
特になんでもないよ、夏休みどうだった?宿題難しかったよねー…
この日から、原田に関する悪い噂は日に日に増えていった。
誰もがその話を耳にしているはずなのに、夏海一人だけは何も知らないようだった。
なぜ夏海が気づかないかって?
答えは、簡単。
原田の夏海に対する態度が以前と全く変わらないから、疑う余地がないのだ。
なぜ友達が夏海に言わないか、それも簡単。
噂は噂だから、波風立てたくないやつ。
夏海に伝える義理がないと思っているやつ。
最後は、自分自身が関わっているから言い出せないやつ。
原田のクラスの女子はもちろん、俺と夏海のクラスメイトにもそういう女子がいたのかと思うと、恐怖だ。
人間不信になる。
いや、その恐怖は俺じゃなく、夏海の方が味わったのだろうけど。
俺と絵理は、大学3年の夏に別れた。
俺がフラれたのだが、何が原因だったのかも思い出せない。
特に、大きなきっかけがあったわけではなかったと思う。
夏海と原田は、これだけの環境下にいるにも関わらず、大学4年になっても続いていた。
恋愛って、そんなもんだ。
俺の大学時代の彼女は、絵理ひとりだけだった。
そのあとは少しの休息期間を経て、新たな恋愛する間もなく、就活モードに入った。
ただ見栄と将来のことを考えて、漠然と大企業に入りたいと思っていた俺は、大した理由があるわけでもないからこそ、就活に本気で取り組んだ。
俺と夏海のいたクラスは、可もなく不可もないくらいの仲良し度合いで、クラス内カップルがちらほらいたこともあって、長い休みにはみんなで旅行に行くこともあった。
俺は特に断る理由もないから参加していたし、夏海も、原田が束縛するようなタイプではなかったから、基本的にはいつも参加していたように思う。
4年間、目に入る距離にはいつもいたはずなのに、意識したことは一度もなかったということを、今になって改めて気づく。
それは、夏海も同じで、俺たちは今でも昔話をすると、そのお互いの共有の思い出がなさすぎて、不思議で笑えてくる。
ただ、原田にあった噂にふれたことは今までで一度もない。
そして、これからも、ないつもりだ。
そろそろ卒業も間近に迫ったところで、俺と夏海との接触を期待する頃だろうけど、残念ながら、それはまだ先のことになる。
就活が、なかなかうまくいかない!単位がやばい!卒業旅行の旅先で、恋に落ちる!…なんて、特に何のドラマもなく、俺は大学を卒業した。
第一志望だったメーカーに就職が決まり、4年の前期には卒業が確定、卒業旅行は友達の友達まで輪を広げて、男どもでわーわーやって楽しんだ。
周りほど嫌だと思うこともなく、4月になって、気持ちからすんなりと就職した。
2ヶ月の研修期間を終えて、言い渡された勤務地は本社だった。
自宅からだと、1時間強かかる都心部だ。
え?あぁ、そうだな。知ってるよな。
いま考えると、なんて偶然なんだと思うけど、通勤に便利な街がお前と同じで本当によかったよ、一紀。
一紀とルームシェアを始めたことで、使う路線ががらりと変わった。
ただ、家に帰る時間は特に早まらなかった。
お前は、俺の仕事が忙しいからだと思っていただろうけど、そうじゃないんだ。
お前があまりにも帰ってくる時間が遅すぎて、自分が仕事してないって思われるのが嫌で、寄り道してた。
笑うなよ。
安月給のメーカー勤務の俺が、高給取りの広告業就業者と同じ帰宅時間になるわけないだろ。
そして、それがきっかけになった。
渋谷は、定期圏内で時間がつぶせる恰好の場所だった。
同じ部署に配属された友達と、用もなく渋谷に出ては、飲んで歩いた。
一番仲の良い同期だったから、毎日一緒にいてもお互いに飽きを感じたりはしなかった。
あ、多分。
少なくとも俺は、ね。
月曜日だった。
その同期が、ミスをした。
手伝えるところまではフォローをしたが、残りは一人でやるから雄輔は先に帰ってくれ、と会社を追い出された。
渋谷に着いたのは、8時頃だったと思う。
夕飯だけでも食べて帰ろうかと思ったが、いつも2人でいることに慣れていたら、1人の渋谷は冷たく感じて帰ることにした。
「中野くん?」
ケータイをいじりながら電車を待っているところに、後ろから声をかけられた。
夏海だった。
「なんか、実はこうやって2人で話すことなんて初めてかもね?」
どちらが言い出したでもなく、俺たちはわざわざ改札を出て、近くのカフェに入った。
「そうだね。クラス内でも、俺は女の子とあんまり関わりない方の連中と絡んでたし」
「うん、そんなイメージ。だからかな、中野くんって、女の子苦手なのかなと思ってたよ」
初めてちゃんと話すのに、社会人になってから学生時代の知り合いに会えてお互いのテンションが高まったせいか、話が弾んだ。
単純に、楽しかった。
カフェに入って、2時間。
閉店近い時間まで止まらずに話し込み、店員からラストオーダーを尋ねられて、ようやく時間の経過に気がついた。
「わぁ、こんな時間!」
「ね、ごめん。ご飯、食べてなかったよね?」
「昨日の残りがうちにあるから、大丈夫。中野くんこそ、ご飯食べなくて大丈夫?」
「あ、大丈夫。なんか、コーヒーで意外と満たされた」
まだ月曜日だし、これから改めてご飯行くっていうのもあれだよね、と解散する流れになった。
渋谷からは、お互い別の電車。
夏海が保険の会社に勤めたことも、一人暮らしを始めたということも、その時に初めて知った。
というより、考えてみたら学生時代は実家暮らしだったということも、知らなかったと思う。
原田の話には、ならなかった。
じゃあ、と簡単にあいさつをしてホームに入ってきた電車に乗ろうとした。
「雄輔くん!」
「え?」
「今度は、ご飯でも行こうね。ばいばい」
電車の音ではっきりとは聞き取れなかったけど、夏海に名前で呼ばれたのは、これが初めてだった。
ご飯行こう、が別れ際の社交辞令だということにも気づかずに俺は浮かれた。
なんとなく楽しい気分になって、にやにやしたい気持ちをごまかすために、電車の中でウォークマンのボリュームをいつもよりちょっと大きめにした。
急に名前で呼ぶのは、反則だよな。
夏海が狙って言ったとしか思えないんだけど、本人は名前で呼んだっていうことを否定する。
小悪魔だと思う。