恋愛小説『忘れたくない恋をした』9
一つが満たされると、二つ目を求める。
少し幸せになると、もっともっとと欲張りになる。
今を生きていると過去の想いを忘れてしまう。
かつての自分に感謝して、これからを生きていく恋愛小説です。
関連:恋愛小説『忘れたくない恋をした』8
恋愛小説『忘れたくない恋をした』9
「陰気くせぇな。とても結婚を控えた男に見えないぞ。死期が目の前に迫ったような、悟りを開いた顔になってんぞ」
ゲームに熱中していると思っていた一紀が、ちらりとこちらを見て言った。
まぁ、結婚なんて死にに行くようなものなのかもね、と笑いながら悪態が続く。
「うるせぇな。お前なんか、そのサル顔。縄文時代から変わってねぇんじゃねぇの」
「うわ、やだねー、いい大人の男が八つ当たり?大人気ないねー。こんなんで、ちゃんと人の旦那になれんのかね?1人じゃなくて、2人になって、旦那のみならず、いずれは人の父親とかになっちゃうのに?」
「また、結婚…。本当、みんな、それしか言わないのな」
さすがに、うんざりだ。という言葉は、かろうじて心の中だけに留めた。
「そりゃ、お前言うだろうよ!結婚決まったやつに、結婚の話するのは、全然悪いことじゃないだろうよ。それで俺が八つ当たりされる理由がまったくわかんないね。なんだよ、何かあった?」
「あ、いや、ごめん。別に…」
確かに、八つ当たりだ。
すまん、一紀。
「なんだよ。言えよ。夏海ちゃんと、何かあったんだろ」
付き合いが長いと、話が早い。
その分、余計な心配をかけることも多い。
「何があったってわけじゃないんだ。ただ、何かにつけて、結婚するのにあなたはなんとかだ。あれは、どうこうだ。結婚するからには、なんちゃらだ…って。そういう話に、なんとなく疲れただけなんだよ」
一紀が険しい顔になる。
ゲームは止めたようだ。
タイム中の音楽が延々と部屋に響き、完全に画面から目を離してこっちを見ている。
「お前…それ、大丈夫か?結婚前から、そんなことでぶつかってたら、その先が思いやられるぞ。俺、今すげぇ心配になってきたんだけど」
「あ、いや。違うんだよ。覚悟はできてるんだ。覚悟なら、あいつを好きになった時から、ずっとできてたんだ。ただ、幸せにしたくて結婚しようと思って、プロポーズした。
結婚って、もっと安心できるような状態になることだと思ってたのに、あいつの結婚の捉え方が構えすぎてるというか…真剣に向き合ってくれるのは嬉しいんだけど、もっと楽しく、気持ちを楽に、色々進めていきたいだけなんだよ。それをうまく伝えられなくて、なんとなくもどかしいだけなんだ」
恥ずかしさで目を合わせずに話をして、吐き出したあとで一紀を見た。
そんなに見つめるな、一紀。
お前のでかい目は、長い時間見つめられると、何かどぎまぎしてくるんだよ。
もちろん、その気は、ない。
「お前…なんでそんなにできた男なんだろう。お前が、男で残念だよ。俺は、お前みたいな女に守られながら一生暮らしたい」
「一紀、そういうことを言ってるうちは、彼女できないと思うぞ」
「お、上から目線だな。これでも、話がないわけじゃないんだよ。ただ、俺がその気にならないだけだ。とか、強がってみる」
笑いながら自虐的なことを言われても、逆に嫌味にしか聞こえない。
お前がモテることくらい、知ってるわ。
小さい頃、俺の好きな子は大抵お前のことが好きだったんだから。
「まぁ、とにかくそれだけだよ。だからお前が心配するようなことがあるわけじゃないんだ」
「よく分かった。じゃあもう何も心配してやらん。
っていうかさ、今思ったんだけど、お前らって籍入れるまで一緒に暮らさないの?何も言ってこないから俺も考えてなかったけど、いきなり出て行かれるのは、さすがに家賃困るんだけど。払えないことはないが、すごく無駄金な気がする。一人でこんなとこ住んでても、寂しさ増すだけだし。」
「あぁ、それは気にしなくて大丈夫。籍入れるまで一緒に暮らさないから。ちょっと前に調べたけど、そうすると、ちょうどここの更新の時期にぶつかるはずだよ。
まぁ、新しい部屋だけは考えといてくれ。新しい物件見に行くのくらいは付き合うぞ」
一紀と俺は、小学校からの幼馴染だ。
一紀が気まぐれで受けた地方の国立大学に進学した4年間だけは離れてすごしていたが、それ以外は常に「午前4時に呼び出されてもすぐに会いに行く」ことが可能な距離にいた。
実際に呼び出したことはお互いに一度もないし、大学時代の距離でだって、呼び出されればなんとかして行こうとしたとは思うが。
ちなみに、この「午前4時に~」のくだりは、「親友」の定義なんだそうだ。
夏海が言っていたことだけど、男同士で「俺ら親友だよな!」なんてくさすぎるから、一紀に伝えたことはもちろん、ない。
「そうなんだ。俺にとっては好都合だけど、でもいいのか?最近って、結婚前からしばらく一緒に過ごすもんなんじゃないの?」
「どうなんだろうね。でも、まぁ夏海がそうしたいって言ってるから。結婚までは、バラバラかな。そりゃ、多少は一緒に住み始める準備はするけどな」
「へぇ。夏海ちゃんなら、今すぐにでも一緒に住みたいとか特に言いそうなタイプなのにな。意外だな」
「そういうタイプじゃないって。その話は、昔、しただろうが」
「どの話だよ。俺にとられるのが嫌だとかなんとか言って、なかなか夏海ちゃんの話は俺にしてくれなかっただろうが」
そんなこと言ったのか、かつての俺。
自分に都合の悪い話を忘れることができるのは、人間の特権だと思う。
小さい頃、自分の好きな子から「吉村くんに渡しといて」って、ラブレター伝達を頼まれた傷は、今でもまだ癒えてなかったんだな。
言うまでもないが、吉村くんは一紀のことだ。
吉村一紀。
「…そうだっけ。じゃあ、まぁ、気にするな。忘れろ」
「お前、さっきから自分勝手だなー。たまには、自分の話してみろよ。考えてみたら、俺、お前らの出会いから何まで、ほっとんど知らねぇぞ。2次会で思い出聞かれても、3人でよくオールナイトマリオカートしました、くらいしか言えねぇぞ」
2次会で、お前にインタビューするなんていつ決まったんだよ、と思いながらも、確かに、俺は夏海の話をこいつにしてないな、ということに気がついた。
というか、俺は誰にも夏海との話を詳しくしたことはない。
大学の友達は、夏海の話をするまでもなく知っていたし、下手したら俺以上に夏海のことを知っていただろうから、俺は話したくなかったんだ。
そもそも、俺たちが付き合ったという事実は、懸念なく、すぐに報告できるような簡単なことじゃなかった。
にしたって、俺から相談持ちかけたわけじゃないんだから、自分勝手って言い方はないだろ。
「マリカー、どんくさそうに見える夏海がいちばん強いです、って言っとけ。確かに、お前に夏海との話はしてない。だけど、お前も俺に恋愛話なんてしてこなかった」
「自分勝手」のくだりに反論するのは、子供だと思ってやめておいた。
「はぁ!?話はフェアに、ってか?言っとくけど、お前なぁ。俺だって、話すことさえあれば話してるわ。お前にわざわざ話す時間を割くほどの恋愛は、今のところ、まだ、ない。これからの飛躍に期待してくれ。これ以上、どうすればいい?」
一紀は、またゲームを再開した。
ピロピロとゲームによく似合う音楽が再開した。
話を聞く気があるのか、ないのか。どっちだ。
「分かったよ。何を話せばいいんだよ。あんまり詳しく言うと、夏海が嫌がるかもしれないから、なんとなくでよければ話すよ」
今度は画面からまったく目を離さずに、一紀が言う。
「出会いから、別れまで」
別れてねーよ。
「長いぞ」
「いいから、話せ。聞いてやる。あ、別れてねーな、縁起でもないこと言って、すまん」
はいはい。
セーブ音。
音楽が、止んだ。